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2013.06.04 魚が消える日
食糧自給率が40%を切り、世界的な穀物価格の上昇とTPP交渉参加で、食糧安全保障が注目を集める中で、何となく、「米と魚だけは大丈夫」と思い込んでいたら、とんでもない間違いでした。このところ世界の水産資源は急速に悪化しており、以前、「サイエンス」誌が「2048年には海から魚が消える」という論文を掲載したこともありました。

 四方を海に囲まれ、海があれば魚は無尽蔵に存在する‥という思い込みが、根本的に間違っていることを教えてくれたのは幻冬社新書「これから食えなくなる魚」(小松正之著)です。資源論、消費論の両サイドからデータを収集し、分析した力作で、ぜひ、一読をお勧めしたい本です。

 この本にによると、日本の水産物の自給率は50%台で多くを輸入に頼っています。ところが、その輸入も最近ままならなくなっているんだそうですね。理由はいろいろありますが、一つは日本人の消費性向というか、魚の食べ方の特殊性です。日本の外食産業や量販店は「画一的な品揃え」を求めがちで、常に同じサイズの魚を同じ価格で仕入れて当たり前と考えている。ま、メニューにアジフライ定食があれば、日によってアジの大きさが異なるのは困りものでしょうけれど、そもそも、天然資源である魚で画一的な品揃えを求めるのは面倒な要求なんですね。また、見た目を必要以上に気にするのも日本市場(消費者)の特徴なんだそうで、輸出元としては厄介な貿易相手ということになります。

 もう一つ、白身魚のすり身を多用するのは日本の食文化ですが、これも諸外国が日本への輸出を避ける一因になってるそうです。スケソウダラであれば、手間ヒマかけてすり身にして日本に出荷するより、そのままの状態で輸出できるヨーロッパの方がいい。日本の面倒くさい食文化にイチイチお付き合いしていられない‥‥ということなのでしょう。考えてみれば、かつては台所で母や祖母が、擂り粉木ですり身を自ら作っていたものですが。

  日の光今朝や鰯のかしらより   蕪村
「侵略の定義は学界でも国際法上も定まっていない」

 国会で答弁した安倍総理の発言が、アジア諸国だけでなく欧米諸国でも物議を醸しています。この総理に関しては、あまりの知性、感性の欠如にヤレヤレという感じで、あえて、どうこう語るつもりもなかったのですが、少々、度が過ぎてはいないか…。

 別に中国、韓国に肩入れする気は毛頭なく、彼の国々も近代国家としての品格を備えているとはとても思えないのですが、いま、日本が置かれている状況下で「侵略の定義」を耳学問レベルで語る安倍総理の神経を疑います。加えて憲法96条に手を付けると息巻いているのですから、正常な神経ではない。

 太平洋戦争という呼称は、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が命名したもので、それまでは大東亜戦争と呼ばれていました。この戦争の犠牲者数は、いまも、確かな数字は判明していませんが、日本人が軍人約230万人、民間80万人の計310万人、中国が推定1700万人、朝鮮(韓国・北朝鮮)同20万人、ベトナム同200万人、インドネシア同200万人、フィリピン同105万人などです。

 人的側面だけをみれば、東日本大震災どころではない、無数と言っていいほどのかけがえのない生命が奪われ、散っていった人為的大惨禍であったことは、この悲しい数字を見ただけではっきりしています。その原因が「日本の侵略」によるものかどうかはともかく、大日本帝国陸海軍が進出しての戦闘行為に起因するものであったことは、どう弁明しても明らかでしょう。ABCD包囲網など、「止むにやまれぬ事情」があったとしても、これほどの生命と引き換えにして構わないという理由にはなりません。沖縄地上戦、広島・長崎原爆、米空軍の戦略爆撃による民間日本人の犠牲についても、また然りです。ましてや、当時のアジア諸国の国民の立場に立てば、「侵略かどうかという神学論争」を待つまでもなく、許すべからざる日本の行為であったことは自明のことです。自らを逆の立場に置いて想像してみたらいい。これは自虐史観でもなんでもありません。当時の日本の為政者の責任を明らかにすることと、安倍総理のいう「美しい日本」の伝統や自然、人々の柔らかな気質を尊重し、愛することとは別の話です。

 ドイツのヴァイツゼッカー・元大統領は、1985年、 第二次大戦終結40周年を記念して、歴史的な演説を行いました。「荒れ野の40年」という、戦争責任を明確にした名高い演説です。戦後ドイツの戦争責任の取り方については、必ずしもそれほど徹底したものではなかったともいわれていますが、この演説は、少なくとも日本の戦後のどの政治家よりも誠実に歴史に向かい合う姿勢が示されています。いわく「過去に目を閉ざす者は未来にも盲目になる」と。

 戦後70年を前にした日本…何という想像力の欠如したグロテスクな総理が出現したものか、とため息をついてしまいます。


2013.04.30 卯月行く
 社内HPでのブログ書きに勤しんでいる間に、いよいよ4月も今日限り。鹿児島は昨日までの快晴が一転、今日は朝から穏やかな雨が降り続いています。

 「二月の雪、三月の風 、四月の雨が、美しい五月をつくる」。この冬、鹿児島は残念ながら雪はほとんど降らず、梅も桜もヤマフジも例年より遥かに早く咲いて、散って…それでも、霧島山系の新緑は実に見事 に輝いています。卯月という4月の和名は、たぶん、卯の花が咲く月というあたりを語源とするのでしょうか。ちょうど、今のこの時期、山道の脇のかしこに白い小さな卯の花が咲いています。


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 童謡「夏は来ぬ」で歌われている「卯の花の匂う垣根に」の卯の花ですが、実は、子供のころ、この花がどんな花なのか知りませんでした。後になって、「ウツギ(空木)」の花のことだと知って、驚いた記憶があります。ハラハラと風に散る可憐な花が、枝一杯にぎっしりと咲く姿は、故郷の山口の山でもいたるところ見られました。

 温暖化の影響なのか、いつもより季節の足取りが早すぎる気もするのですが、それでも、やはり三月の風と四月の雨が作り上げるこの季節の野山に、心が惹かれます。


 春の陽に青山うたた午睡せり

2013.04.08 春真っ只中
年度跨ぎのここ数週間、息つく暇なしで駆け抜けました。3月末には、東京でのシンポジウム出席に続いて、京都で中学校時代のクラス会、そのまま、年度締めの会議ラッシュに予算編成の締め括り、入社式に続いて、さまざまな会合が重なって、ふと気づくと桜の季節が終わっています。

そんな中、昨夜は気のおけない男たち同士での句会でした。それぞれが雑詠5句を持ち寄って、それぞれの春を披露しあう穏やかなひととき。

駄句三つ…

花散らし雨落つ日あり父の逝く
若葉照り朝の電車の音高く
禁門が枝寄せ給ふ御所桜

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昨日までの春の嵐が東に去って、今朝の鹿児島は春爛漫の気が溢れています。
2013.03.11 3・11
今日3月11日。
二年前の今日、午後2時46分から1時間ほども経った頃でしょうか、会社の自室で呆然とNHKヘリコプターが映し出す津波中継を見つめていたことを思い出します。まるで意思を持った無慈悲な生き物のように、黒い濁水が次々に家屋を道を車を呑み込んでいくライブ映像に、言葉もなく十数分が過ぎたでしょうか。ふと、我に返って、部屋を出ると社員たちが何事もなかったかのように机に向かっていました。鹿児島は全く揺れませんでしたし、職場のテレビも切られていたので、大地震があったことも、大津波が襲ったことも知らない。
「テレビつけてみて…東北が大変なことになってるよ」と声をかける。
社内が騒がしくなってきた後も、言葉なく、茫然とした時間が過ぎていたことを思い出します。

あまりに巨大すぎる出来事の前で、言葉がしたたかに打ちのめされてしまう光景。例えば島原で目の前にした雲仙普賢岳の火砕流惨事だったり、大虐殺直後に足を踏み入れたルワンダでの無数の死だったり、言葉で語ろうとして、どうしても、しかし、言葉が出てこない体験はあるのですが、東日本大震災の場合、それに続く「ゲンパツ」とも相俟って、低く唸り続けるしかない感覚だったような気がします。

石巻出身の辺見庸は「大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊したのです」と記しました(「瓦礫の中から言葉を~私の<死者>へ」)。

俳人の長谷川櫂は、私がかつて勤めていた新聞社の同僚(面識はありません)ですが、震災を受けて、『震災歌集』を緊急出版しています。彼にとって初めての歌集に対しては、俳人の間で厳しい評価もありましたが、一気に風景や心象を切り取る俳句では伝えきれない何かが、彼を激しく突き動かしたのでしょう。意図せずに溢れ出てしまった言葉といっていいのかもしれません。

・乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
・嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
・人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線

 
あれから二年、メディアや政治から乱発されるのは、相変わらず「再生」だの「復興」だのといった言葉ばかり。故郷を根こそぎにされ、津波にさらわれた一人ひとりの死者たち、残された人たちに、何が届けられ、何が伝えられていないのか…ふと、そんなことが心をよぎる二年目の春です。
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