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2011.07.04 世間知らず
 「(村井知事が)先にいるのが筋だよな」
 「(水産特区)は県でコンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。ちゃんとやれ」
 「いまあとから入ってきたけど、お客さんが来るときは、自分が入ってきてからお客さんを呼べ。いいか? 長幼の序がわかっている自衛隊ならやるぞ。わかった? しっかりやれよ。今の最後の言葉はオフレコです。いいですか? 皆さん。絶対書いたらその社は終わりだから」

 松本龍なる復興担当大臣が就任後初めて、宮城県庁を訪れた際、村井知事&取材中の報道陣に向かって浴びせた言葉です。昨夜、TBS系列の東北放送が、そのままオンエアしたのを観ていて、いまどき、このレベルの輩に大臣が務まっているんだ!としばし、呆然としたことでした。そのまま放送したTBC東北放送は「終わり」になるのでしょうかねぇ。もはや、寂しく笑うしかない光景です。

 宮城県庁を訪れる前の岩手県庁訪問では、達増知事に「知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない」、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」とのたまわっているのだから、根っこからこの大臣の言語感覚は狂っているのでしょう。

 被差別部落解放運動に生涯を捧げ、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の孫で、実家は地方ゼネコン。若くして国会議員になり、ちやほやされて育ったのでしょう。結局は「世間」を知らない。「書いたらその社は終わりだから」などという言辞が、百歩引いてジョークだったとしても、時の公権力の一翼を担う大臣としては、それだけで罷免モノです。そういう頭の巡りができない「裸の王様」ならぬ「裸のお坊っちゃま」が、復興担当とは、最低最悪の布陣というしかありません。

 世間知らずで思い出しましたが、世間という言葉、実に味わい深いものです。世間とよく似たものに社会という言葉がありますが、両者はどう違うのか…これが結構難しい。

 「渡る世間に鬼はなし」とはいうけれど「渡る社会に鬼はなし」とはいいませんし、「世間の口に戸は立てられぬ」とはいっても「社会の口に…」という表現はしない。では、どこが違うのか。世間も社会も、人々がそこに暮らし、日常生活を送っている場であり、そこで交わり合う人々、関係の総体を指すのですが、どうやら、社会という言葉は知識人(死語ですが)が文章中で使いたがるのに対して、世間はどこにでもいる市井の人々が現実的なイメージを想定しながら話し言葉として使うことが多いようですね。

 しかも、「世間」という言葉はなぜか、大人なら誰もが知っていることを暗黙の前提として使われる。「そんなことしたら、世間が許さないよ」「世間の目を少しは気にしたらどう?」「いやな世間になっちまったなぁ」等々の会話は、相手が世間というものを熟知していることを前提にしか成立しません。極めて曖昧だけれど、不思議に心の奥底の腑に落ちる言葉といってもいいのでしょうね。

 こうした、日本人の多くが共有するビミョーな言葉だけに、「世間知らず」という言葉を発せられた時の恐怖も大きいのかも知れません。話が妙に飛んでしまいましたが、世間知らずも、ときによし。しかし、今回の暴言だけはいただけません。
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