上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
最近、ちょっとした壁にぶつかり、気分が滅入った時に、ふと、「ま、いいか、生きているだけで丸もうけ、だもんな」と自分に言い聞かせているのに気づきます。
この「生きてるだけで丸もうけ」というフレーズ、明石家さんまが、大竹しのぶとの間に生まれた愛娘に「いまる」と名付けて以来、ちょっとした流行語になりました。面白い名付け方ではありますが、どこか、現状安住型で居直りの気分も感じさせて、多くの人は、「なるほど、確かにそうだけど、それだけじゃ、寂しいなぁ」と受け止めたのではないでしょうか。実は、私もそうでした。
その感覚がひっくり返されたのは、五木寛之さんの「人間の覚悟」(新潮選書)を読んでからのことです。
この著作の中で、五木さんは、アイオワ大学の教授が行ったこんな実験の話を紹介しています。
教授は、30㎝四方の木箱を作り、そこに砂だけ入れて、1本のライ麦の苗を植えてみたのだそうです。それを水だけで育てて、3か月後に箱から取り出し、広がっている根の長さを測ってみたところ、根毛の先にある顕微鏡でしか見えないようなものまで含めて、その根の長さは1万1200㎞もあったというのですね。
その話を聞いて、五木さんは「1本のライ麦が、生きるためだけに、シベリヤ鉄道の長さをはるかに超えるくらいの長さの根を張り巡らせ、その命を支えていた…それを考えると、私たち人間が1日生きるということは、どのくらいの根を人間関係に、世の中に、宇宙に張り巡らせていることか。1日生きるだけでも、ものすごいことをしている。人は生きているだけで偉大なことだと思います」と続けています。
生まれて、生きて、老いて、死んでいく、それをすべてやることに価値があるのであって、「いかに生きるべきか」「何のために生きるのか」という問いは、今日1日の生命の営みの重さに比べれば、たいした問題ではない。どんなに惨めでも、寂しくても、情けなくても、哀しくても、みすぼらしくても、生きて存在しているということだけで、ものすごいことなのだ、と自覚すること、まずは、そこから始めなさい…ということなのでしょう。
「生きているだけで丸もうけ」の思想を、本当にじっくりと噛み締めたら、明日からの目の前の風景が、ガラリと変わってくるのかもしれませんね。

Secret

TrackBackURL
→http://tenokuchinomadokara.blog133.fc2.com/tb.php/9-787378f1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。