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2011.04.11 一人で歩く
宗教学者で評論家でもある山折哲雄さんは、年少期、疎開先である岩手県花巻で育ちました。その山折さんが、3月23日付の日本経済新聞のインタビューに答え、今回の震災についてこんな風に語っています。

人間はそもそも不可解で未知なもの。それを説明可能であるかのように、幻想を与えたのが近代科学だ。確かにそれは森羅万象を合理的に説明する。その意味で近代科学は無意味ではない。ただ、近代科学には限界があることを認識しておくことも重要だ。それを忘れたところに現代の傲慢が隠されている。
 今回の大震災はまさにその虚を突いてきたといえるのではないか。

あの山折さんにしては、何ともありきたりな通俗的な言い方ですが、この表現に合致するのは、少なくとも、あの大地震と巨大津波に関してであって、福島原発で起きている事態は、こうした言説以前の問題なのでしょう。

それはともかく、山折さんの幸福論を10年ほど前に読んだことがあります(「悲しみの精神史」PHP出版)。
その中で、山折さんは、幸せの三条件のようなもの(「ようなもの」としかいえませんが)を提示しています。

一つは、「人間について比較することをやめる」。コンプレックス、自惚れ、嫉妬…人の不幸は人間を比較するところから始まっている。比較とは、本来、モノとモノの間ですべきことだ、というものです。

二つ目は、「だます人間より、だまされる人間になる」。これは説明不要でしょう。

そして、最後に「一人で歩く」。山折さんは、この点について、次のように記しています。

 群れからの脱出である…自分一個をこの広い天地の片隅に追いやる自虐の遊びである。オレは一人だと雄叫びをあげ、オレは一人だとわめき散らして歩きに歩く。すると不思議なことに道端に咲く草花が、こちら側の怒張したような顔にいつのまにか微笑みかけてくる。空飛ぶ小鳥たちのさえずりが硬直したからだに甘露のように降り注いでくる。

一人で歩く。例えようもない絶望の淵を巡りながら、それでも、一人で歩いてみる。
いま、大震災を受けて、「絆」という言葉が随所でもてはやされていますが、それでもなお、「一人で歩くこと」をしっかりと心に刻む時なのかもしれない。

鹿児島の野山は、萌え立つような新緑に包まれ始めました。
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