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2011.04.04 あの日の偶然
 福島原発の暴走事故について考えているうちに、ふと、母のことを思い出しました。

 私の母は昭和20年の夏、福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)にいました。母は長崎出身で、高等女学校を卒業後、当時の小倉警察署に勤め、戦後、今は亡き父と結婚し、長男として、私が生まれます。

 その母は、私が物心ついた頃に、よく、言って聞かせてくれたものでした。
「あなたねぇ、もし、あの日、小倉が晴れていたら、いまのあなたは、いないのよ」と。

 そう、昭和20年8月9日…長崎に原爆が投下された日です。この日、テニアン島を離陸した米軍爆撃機「エノラ・ゲイ」は硫黄島上空を経て、午前7時45分に屋久島上空に達し、計測機のグレート・アーティストと合流、午前9時40分、大分県姫島方面から第一投下目標の小倉市の上空へと侵入しました。9時44分投下目標である小倉陸軍造兵廠上空(小倉警察署の隣でした)へ到達しましたが、爆撃手が目視による投下目標確認に失敗します。その後、別ルートで爆撃航程を少し短縮して繰り返すものの再び失敗、再度3度目となる爆撃航程に入りましたが、これも失敗。この間およそ45分間が経過しました。原因は、この時、小倉上空を雲が覆っていたからです。

 「エノラ・ゲイ」号は、残燃料を気にしながら、止むなく、第二目標の長崎市へと機首を転じます。広島に続く人類二発目の原爆が長崎市浦上に投下されたのは午前11時2分のことでした。

 第一投下目標だった小倉にいた母は、その偶然によって生命を永らえ、代わりに長崎の親族や友人の多くを失くします。

 福島で起きていることと、何の脈絡もないけれど、私自身がいま、ここに存在することの淵源をたどれば、「あの日の小倉の天気」に行きついてしまう。そんな不思議な感触とともに、人類が「原子の火」を手にしてしまったことの危うさに思い至ってしまうのです。
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