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 「正しい」という言葉について考えてみる。生まれてこの方、何千回と使ってきたこの言葉、辞書によると「道理や法にかなって、誤りがないこと」となっています。では、道理、法とは何だろう。同じように、またまた、辞書のご厄介になると「道理=物事の筋道」…う~ん、よくわかりませんね。「法=社会生活上の規範、規範を定めた条文」ともあります。
 
 で、どうして、いまあえて「正しいこと」について考えるのかというと、実は、世の中には絶対的な「正しいこと」が意外に少ないからなのですね。道理などというものも、規範なるものも、時代とともに変転するもので、「どのような状況下においても正しい」なんてものは、何一つ存在しない。人肉を食べるのはよくないことに決まっているけれど、かつてのアンデス山中での飛行機墜落事件でもあったように、飢餓の極限下では、それもまた認められるケースだってある。「汝、殺生するなかれ」という規範も、せいぜい、キリスト誕生以来のここ二千年程度の歴史的検証しか経ていない。ネアンデルタール人や北京原人たちに「ちゃんと衣服を身に着けて外出しなさい」と説くのは無理な話です。
 
 以前、小学校の教室の黒板の上に、「真善美」などという墨書が掲げられたりしていました。「真」で「善」で「美しい」となれば、これは誰にも文句のつけようのない「正しきこと」なのでしょうが、そもそも「真」とは何で、「善」とはどのような行動を差し、「美」とはどういう姿態、風景を言うのか…人さまざま、お国によっても違うだろうし、時代によっても揺らぐものなのでしょう。そこを規定しないまま、こんなお題目を何千回唱えても無意味というものです。

 ある経営者の方と部下とのコミュニケーションのとり方について話していたら、こんなことをおっしゃっていました。
「結局ね、いつも正しいことばかりを言い続けないことだと思う。これほど、心に響かず、部下を沈黙させてしまう話し方はないような気がしますね」
そう、「正しいこと」は心に響かない。けだし、名言と、うなづいたものでした。

 複雑な要素が多様に絡み合う中で、現場スタッフは、それでもなお、常に判断を迫られている。時計をにらみながら、何を優先させるか、どの案件がより急ぐのか、費用対効果を考えた時、どの案件を切り捨て、どのテーマに集中すればいいのか。変数の多い多元方程式を日々解いているようなもので、その中には「絶対的な正解」がないのがほとんどの場合です。そんな状況下で、上司が、自ら汗もかかず、さながら後出しジャンケンの要領で「そんな判断はないだろう」と叱責ばかりしていたのでは、育つ人間も育たない。

 要は「誰でも認めざるを得ない正しいこと」ばかりを語り続ける人は、要注意というお話です。誰も無菌室では一か月も生きられませんし、社会生活上の規範を定めた条文に従って、全てのドライバーが「正しく運転」した日には、全国の主要道路は渋滞で身動きできなくなるはずです。そういう意味では、行きすぎた企業コンプライアンスの導入も、随分、会社共同体の体力を弱めてしまっているのかもしれませんね。
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