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「侵略の定義は学界でも国際法上も定まっていない」

 国会で答弁した安倍総理の発言が、アジア諸国だけでなく欧米諸国でも物議を醸しています。この総理に関しては、あまりの知性、感性の欠如にヤレヤレという感じで、あえて、どうこう語るつもりもなかったのですが、少々、度が過ぎてはいないか…。

 別に中国、韓国に肩入れする気は毛頭なく、彼の国々も近代国家としての品格を備えているとはとても思えないのですが、いま、日本が置かれている状況下で「侵略の定義」を耳学問レベルで語る安倍総理の神経を疑います。加えて憲法96条に手を付けると息巻いているのですから、正常な神経ではない。

 太平洋戦争という呼称は、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が命名したもので、それまでは大東亜戦争と呼ばれていました。この戦争の犠牲者数は、いまも、確かな数字は判明していませんが、日本人が軍人約230万人、民間80万人の計310万人、中国が推定1700万人、朝鮮(韓国・北朝鮮)同20万人、ベトナム同200万人、インドネシア同200万人、フィリピン同105万人などです。

 人的側面だけをみれば、東日本大震災どころではない、無数と言っていいほどのかけがえのない生命が奪われ、散っていった人為的大惨禍であったことは、この悲しい数字を見ただけではっきりしています。その原因が「日本の侵略」によるものかどうかはともかく、大日本帝国陸海軍が進出しての戦闘行為に起因するものであったことは、どう弁明しても明らかでしょう。ABCD包囲網など、「止むにやまれぬ事情」があったとしても、これほどの生命と引き換えにして構わないという理由にはなりません。沖縄地上戦、広島・長崎原爆、米空軍の戦略爆撃による民間日本人の犠牲についても、また然りです。ましてや、当時のアジア諸国の国民の立場に立てば、「侵略かどうかという神学論争」を待つまでもなく、許すべからざる日本の行為であったことは自明のことです。自らを逆の立場に置いて想像してみたらいい。これは自虐史観でもなんでもありません。当時の日本の為政者の責任を明らかにすることと、安倍総理のいう「美しい日本」の伝統や自然、人々の柔らかな気質を尊重し、愛することとは別の話です。

 ドイツのヴァイツゼッカー・元大統領は、1985年、 第二次大戦終結40周年を記念して、歴史的な演説を行いました。「荒れ野の40年」という、戦争責任を明確にした名高い演説です。戦後ドイツの戦争責任の取り方については、必ずしもそれほど徹底したものではなかったともいわれていますが、この演説は、少なくとも日本の戦後のどの政治家よりも誠実に歴史に向かい合う姿勢が示されています。いわく「過去に目を閉ざす者は未来にも盲目になる」と。

 戦後70年を前にした日本…何という想像力の欠如したグロテスクな総理が出現したものか、とため息をついてしまいます。


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