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2013.03.11 3・11
今日3月11日。
二年前の今日、午後2時46分から1時間ほども経った頃でしょうか、会社の自室で呆然とNHKヘリコプターが映し出す津波中継を見つめていたことを思い出します。まるで意思を持った無慈悲な生き物のように、黒い濁水が次々に家屋を道を車を呑み込んでいくライブ映像に、言葉もなく十数分が過ぎたでしょうか。ふと、我に返って、部屋を出ると社員たちが何事もなかったかのように机に向かっていました。鹿児島は全く揺れませんでしたし、職場のテレビも切られていたので、大地震があったことも、大津波が襲ったことも知らない。
「テレビつけてみて…東北が大変なことになってるよ」と声をかける。
社内が騒がしくなってきた後も、言葉なく、茫然とした時間が過ぎていたことを思い出します。

あまりに巨大すぎる出来事の前で、言葉がしたたかに打ちのめされてしまう光景。例えば島原で目の前にした雲仙普賢岳の火砕流惨事だったり、大虐殺直後に足を踏み入れたルワンダでの無数の死だったり、言葉で語ろうとして、どうしても、しかし、言葉が出てこない体験はあるのですが、東日本大震災の場合、それに続く「ゲンパツ」とも相俟って、低く唸り続けるしかない感覚だったような気がします。

石巻出身の辺見庸は「大震災は人やモノだけでなく、既成の観念、言葉、文法をも壊したのです」と記しました(「瓦礫の中から言葉を~私の<死者>へ」)。

俳人の長谷川櫂は、私がかつて勤めていた新聞社の同僚(面識はありません)ですが、震災を受けて、『震災歌集』を緊急出版しています。彼にとって初めての歌集に対しては、俳人の間で厳しい評価もありましたが、一気に風景や心象を切り取る俳句では伝えきれない何かが、彼を激しく突き動かしたのでしょう。意図せずに溢れ出てしまった言葉といっていいのかもしれません。

・乳飲み子を抱きしめしまま溺れたる若き母をみつ昼のうつつに
・嘆き疲れ人々眠る暁に地に降り立ちてたたずむ者あり
・人々の嘆きみちみつるみちのくを心してゆけ桜前線

 
あれから二年、メディアや政治から乱発されるのは、相変わらず「再生」だの「復興」だのといった言葉ばかり。故郷を根こそぎにされ、津波にさらわれた一人ひとりの死者たち、残された人たちに、何が届けられ、何が伝えられていないのか…ふと、そんなことが心をよぎる二年目の春です。
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