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 あるところから、「蕎麦について何か書いてください」と依頼がありました。その原稿を、そのまま掲載するのも、どうかと思うけれど、依頼をきっかけに、久しぶりに懐かしい友人との光景を思い出し、しばらく、ぼんやりと学生時代のあれこれを振り返ったことでした。往時茫々として、美しきかな…

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 忘れもしない、あれは、大学一年生の夏だった。いま、その店があるかどうかは知らないが、アーケードの端っこのその場所は、はっきり覚えている。 

 相棒は、ズーズー弁をしゃべる島根県の片田舎出身の同級生だった。蒸し暑い昼下がり、「蕎麦」の看板に、「おい、蕎麦も悪くないな」と連れ立って入った。お昼時を過ぎていたせいか、客は私たちだけ。
「何にする?」「ザルでいいんじゃないの」…とテーブルの傍で注文を待っていた同世代の女の子の店員に告げる。「じゃ、ザルを二つ」

 待つこと5,6分。蕎麦が運ばれてきた。相棒君はごく自然な振る舞いで薬味の葱とワサビをザル上の蕎麦にばら撒いている。なかなか堂に入っている。それを見ながら「ン?」と一瞬、戸惑った。不思議な食べ方だなぁ、と話しかけようとした次の瞬間、事件は起きた。椀のつけ汁を、いきなり、円を描くようにザルの上にぶちまけたのだ。 
 
 ワァ!と声を上げた私たちに気付いて、あの女性店員が飛んできた。つけ汁がテーブル上一面に流れ広がった光景に、彼女は一瞬、呆然として、私たちの顔を黙って見据えた。いや、「見据えた」ように見えた。相棒に尋ねた。「おまえ、ザル蕎麦食ったことないのか」。相棒は、恥ずかしそうに頷いた。
実は、私も初めてのザル蕎麦だった。そのことは相棒には黙っていた。私は、ただ、食べ方をテレビで見て、知っていただけなのだ。

          
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 正直に言うと、蕎麦を食した記憶のスタートは、この時から始まる。山口県の萩の山奥、中国山地の村で育った私も、子供のころに蕎麦を食べた経験はない。たまに母に連れられて街に出ると、お昼は「かやくウドン」か「シナソバ」が定番だった。そもそも、蕎麦屋がなかった。同じ山陰のド田舎育ちである相棒も、また、然り、だったのだと思う。

 昨年度のソバの生産量を調べてみた。鹿児島は775㌧。全国二位の生産量を誇る長野県以西では断トツだ。これに対して、わが山口県は38㌧と鹿児島の二十分の一。話にならない。相棒君の島根だって57㌧だもの。
蕎麦文化圏と饂飩文化圏があるといわれる。諸説紛々だが、面白い説に、茹で上がり時間の違いが二つを分けたというのがある。蕎麦は、再沸騰して麺が浮き上がってから2分程度なのに対して、饂飩はその3倍はかかる。蕎麦文化圏の人々は気が短いのではないのか、と。

 そんなことはさておき、いまや、人後に落ちない無類の蕎麦好きの私だが、ザル蕎麦だけは、箸をつけるたびに、あの相棒の消え入りそうな表情を思い出してしまう。甘酸っぱい味とでもいったらいいのか。

 卒業してから、相棒とは音信が途絶えたままだ。

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