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 今日は年度初めての部長会。新たに昇格、異動で心機一転の出席者が8人、慣れないポジションで初めての業務報告に、ふだんより緊張した空気が会議室に漂います。各事業部門の年度方針、それを数値化した月次目標値を目で追いながら、そのうち、数字が脳内で混沌とした浮遊物質になり、フ~っと溜息をついてしまう。テキストには慣れているものの、毎年度、めまぐるしく変わる数字を読むのは本当に苦手です。

 データ主義、数値実証主義を信奉する人がいます。無味乾燥の数字の羅列をじっと見つめて、その中から過年度実績や経営計画、あるいは他部門との食い違いなどを見事に見つけだす。すごいなぁ、と思います。データの中に、全てが隠されていて、そこに全体の過不足が等身大で映し出されている…読み解く能力があるかないか、なのだと。

 とくに管理部門で長く働いていて、全体を見渡せるけれども、現場から遠ざかっている人たちに多いのですが、そんな人たちに時に深い落とし穴が待ち受けている。データは、しばしば量的に表現されますが、質的な表現ができない。そこが盲点なのですね。

 たとえば、ドラッカーはコンビニのPOSシステム(レジで打ち込んでいる販売データ)に触れて、こんな例を引き合いに出しています。
 あるコンビニで10個仕入れた弁当のうち、いつも8個が売れている。このデータに沿って、8個を仕入れるようにした。これによって、2個分の仕入れの無駄を排除し、利益率が上がる、という一見合理的な計算ですね。ところが、このデータ屋さんは、お客の心理までは読めなかった。商品棚に並んだ最後の1,2個の弁当は、売れ残りと判断して、お客さんの購買意欲が低下するのです。結果、8個仕入れた弁当は、6個しか売れず、さらに、6個を仕入れると4個しか売れないという負のスパイラルに入ってしまった、という訳です。

 データはとても大切なものですが、定性的な本質を掴むには、データを読む側に現場で鍛えられた熟達の目が必要なのだということでしょう。

 ついつい、数字を求めてしまう立場としては、もって瞑すべき。そんなことを思いながらの、初会議ではありました。

 窓の外、花曇りの春霞が桜島を包み込んでいます。
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