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2012.02.03 太郎を眠らせ
 まるで巨大な冷凍庫の中に投げ込まれたように、日本列島全体が未曾有の寒波に包まれています。今朝の鹿児島市内の最低気温は氷点下2.9度。記録的な豪雪に悲鳴を挙げる北国の人たちからみれば、たいした話でもありませんが、それにしても南国・鹿児島では異例の冷え込みです。

 ふと、一編の詩を思い出します。
三好達治の「雪」

  太郎を眠らせ太郎の屋根に雪降りつむ

  次郎を眠らせ次郎の屋根に雪降りつむ

子どもの頃、教科書で読んだこの詩を、雪が舞うのを見るたびに思い出すのです。

 かつて育った山口県の萩の山中は、中国山地の山懐に囲まれて、本当に寒かった。確か中学二年生の時だったと思いますが、ものすごい積雪で、屋根から落ちた雪が玄関を塞ぎ、外に出られないほどでした。夕方からしんしんと降り始めた粉雪は、音も立てずに降り積もり、そうした雪の夜の静けさは、耳鳴りがするほどだったことを記憶しています。

 この詩には、いくつかの解釈があることを後になって知りました。

 まず、太郎や次郎を眠らせたのは誰か、というテーマです。主語がないため、「親が眠らせた」「雪が眠らせた」という大きく二つの考え方があるのですが、私にとってしっくりくるのは、やはり、雪が眠らせたという解釈です。遊び疲れた夜に、窓の外に音もなく降りしきる雪が、子どもたちを眠らせる…。親が眠らせたのでは興ざめですね。

 もう一つは、太郎と次郎は兄弟なのか…つまり、一つ屋根の下に住んでいるのかどうか、という点です。「名前からして太郎と次郎は兄弟だ。別棟に住んでいたんだろう」などという解釈もありそうですが、この詩の太郎、次郎は、個別の子どもの固有名詞を指しているのではなく、ある集落の夜更け、闇の宙空から舞い落ちる雪の下で眠り続ける子どもたちを象徴的に表現しているような気がするのです。

 と、現代詩の世界など、全くの門外漢で、勝手に想像を膨らませているだけなのですが。

 そんな、太郎や次郎の寝姿が、遥かセピア色の彼方、まだ、父も母も若かったころの私自身の姿に重なってきます。 故郷を離れた街の街路灯に照らされて舞う粉雪を見るたびに、甘酸っぱく、感傷的な想いがよぎるのは、二度と還らない「私の過去」に向き合うからなのでしょう。

 明日からは、寒さも緩みそうです。
 すさまじい雪害に苦しむ北国の人たちは「もう、降り積まなくて結構!」という気分だと思います。明日は立春、間もなく三寒四温の季節を迎えます。一雨ごとに春の足音が大きくなっていく時期が待ち遠しくなります。
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