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 今朝の全国紙朝刊でA記者が生活保護をテーマに一文を書いています。電気代を節約するために、夜はテレビの灯りだけで暮らす生活保護受給者の老女の話。テレビ画面では新鮮なカニやウニが盛られた海鮮丼を出演者が美味しそうに頬張っています。それを見ながら、「私、お寿司が好きなんだけどね」とポツリと語る老女。そうした「生活保護の今」を伝えた報道に、読者から「受給者を甘やかしている」という声も届けられたと記事は伝えています。所得の状況などから貯蓄が難しいまま、年をとる人々は確実に存在する以上、自己責任と責めるのは酷だろう…と記した後、A記者は「節約して葬式代くらいは貯めたい」と老女が漏らしたと続け、「そんな世間への気遣いが、切ない」と結んでいます。

 ちなみにA記者は、今から十数年前、雲仙普賢岳噴火災害の際に、一緒に取材したことで知り合い、いまも親交が続いている後輩です。

 一方で、大王製紙の創業者の孫である元・会長が子会社から無担保、無承認で106億円を借りて、マカオ、シンガポール、ラスベガスのカジノで費消したり、オリンパスが有価証券取引で生じた損失を隠すために企業買収を装って1000億円以上の「飛ばし」「粉飾」を続けていたニュースが流れています。

 いずれも庶民にはピンとこない額ですが、あえて例えれば、一億円を1万円札で積み上げれば、ざっと1m。大王製紙の元会長がカジノで吹き飛ばした100億円だと1万円札を100mの高さまで積んだ額になります。オリンパスは1000m…。

 格差社会がひときわ鮮明になったのは、かの小泉・構造改革からです。市場原理主義、新自由主義を標榜し、「自己責任」をキャッチフレーズに弱肉強食路線を突っ走った挙句、いまや格差の世襲化が進み、何より「将来希望の格差」がこの国の隅々まで覆い尽くすような時代になってしまった。

 生まれた時から運・不運が生じ、明確な格差が人生の枠を用意してしまう時代。お金がすべてだとは思わないけれど、そこそこ恵まれて苦労知らずに生きて来た人々が、したり顔で「人生は金じゃない」「生きるのも働くのも暮らすのも、金のためではなく、志や理念のためなのだ」と語るのを聞いていると、何と能天気なことよ…と溜息の一つも出てしまいます。

 「大好きなお寿司よりも葬式代」という老女の想いを、どうやって汲み上げて、共助の心を届けたらいいのか。そんなことを想いながら、寒風が身に染みる朝です。

 禅寺の松の落葉や神無月      野沢 凡兆
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