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「歯は入れ歯、目は眼鏡にて事足れど 今はただ …以下略」

 

 
 そんな戯れ歌を思い出しながら、先週末、インプラントの手術を受けました。事前に説明は受けていたものの、手術後の痛みと腫れは、ナカナカ手強く、土日はアンパンマン状態!おまけに禁酒、流動食のみ
OKという不自由さもあって、少し消耗しながらの週明けとなりました。

 
 よく言われることですが、歯にしても、目にしても、耳にしても、当たり前の機能を発揮している時には何の有難味も感じないのですが、失ってみると、本当にへこたれてしまう。これからは回復するだけのインプラント手術ですから、将来への不安感などがないだけ随分、幸せなことなのですが、それでも、この不自由に苛立っている自分の何と不甲斐なく、情けないことか。


 そういえば、人間存在の本質は何によって担保されているか…言い換えれば、人が人であるアイデンティティとは何か、というテーマを思い出します。理性、知性、感性を人の本質だとする「唯脳論」もあれば、生命維持に欠かせない心臓こそが人という動物の存在をを保証しているという「唯心論」もあるのでしょうが、でも、実際のところ、小指の先を切ってしまっただけで、ズキズキ疼いて夜も眠れない。

 
 機械ならいざ知らず、有機的結合体である「人という生物」の中で、何が重要だと言ってみても、意味はないのかもしれません。元はといえば人間は化学物質の集合体であり、気の遠くなるほどの数のミクロ機能が「神の見えざる手」によって統合され、調和し、死と再生を繰り返している訳ですから、前述のテーマの立て方自体に無理があるのでしょう。


 同様に、企業という組織体も、生身の身体と感受性と人生のしがらみを背負った人々の集合で成立しています。同じ室温にしたところで「寒い!」という人もいれば、汗をぬぐう人もいる。これまた無数のお客様、お取引先と相対しながら、その一つひとつの行為が、有機体としての企業を支えている。脳や心臓に似た働きをする部署もあるにはありますが、これとても、多種多様な、一見バラバラに見えてしまうような「現場」がなければ、単なる木偶の坊、穀つぶしに過ぎません。


 自分が「脳」であるとか、「心臓」であるとか勘違いし始めた「上から目線の人たち」が増えてくるのは、ダイナミックに変化に対応することによって生きながらえるしかない組織にとっては、恐るべき予兆なのでしょう。今回の手術による不自由さ(実は喋りにくい状態でもあるのです)は、ついつい会議で語り過ぎてしまう自分への戒めでもあるのかも知れません。


 それにしても…早く、食いたいものを食いたい!!

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