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2010.07.30 魔の要素
5年後、10年後を構想する…自分自身の人生でも、企業体でも、地域社会でもいいのですが、未来の「あるべき姿」を想定しながら、その「姿」への道筋を探るという作業は実に、厄介なものだと、最近つくづく思います。自分の人生くらいなら、何とか、「こんな風に生きたいな」とか「こういうライフプランで進みたいな」と想定できるけれど、それでも、家族や仕事や思いがけない事故や病気も変数の一つに混じり込んで来て、なかなか、この方程式がうまく解けない。まして、変数だらけの多元方程式である組織集団の未来像なんて、描けるはずがない…とため息をついてしまいます。
とはいうものの、諦める訳にもいかないのですね。限られた条件と予測可能な要素を出来る限り積み上げることで、何とか近似値的な(自己満足的な?)苦し紛れの作業を続けるしか方法はない。

想うのですが、学校教育で私たちが学んだことって何だったんだろう、と。
例えば…「鎌倉幕府は、1192年(建久3年)に源頼朝が征夷大将軍に任命されることで発足した」という教科書の記述をそのまま覚えて、「○○○○年、○○○が○○○○○に任命されることで発足」などという空欄に埋め込めばOKという教育。まさに、「覚えること」を最優先させる知識が重要視されたのが、私たちへの教育でした。
ところが、そんな記憶の束など、おそらく、小学校、中学校、高校で教える全ての科目の全内容が、いまや数百円のメモリーチップに収まってしまう時代なのです。PCに任せれば、確実な記憶を、物忘れもなく、半永久的に留めてくれる。考えてみれば、随分、無駄なことをさせられたものだと思います。記憶に費やした膨大な少年期の時間を、もっと、自分で考え、自分で試み、失敗し、また、考えるような時間に充てていたら、もう少し、ましな男になっていただろうに!もはや、手遅れの年齢になってしまいました。

定数がほとんどなく、変数だらけの多元方程式を解く作業で、最も必要とされるのが、実は、この「自分で考える」という資質なのですね。どのような本を探しても、ネット検索で調べても、自分の人生同様、世界にたった一つしかない個別の組織共同体(企業、団体)の将来像を正確に教えてくれる決定的な材料があるはずがない。
これは近代経営学の一つの弊害でもあると思うのですが、業績、その推移、さらに財務、労務などのデータを積み上げて、分析にかかる。なんとなく、それで、安心し、わかった気になってしまうのですが、そんな無機質な数字の上に胡坐をかいていると、ある日突然、予期せぬ潜在的な変数、データ化不能な要因がムクムクと頭をもたげて、一気に調和を突き崩してしまう。かつて受験少年であった身としては、実は、それが一番恐ろしい事態なのです。
その、組織体内深く眠っているデータ化できない「魔の要素」を、どう抉りだして、解を探しだしていくか。これまた、ため息が出てきそうなテーマではあります。


降ったり、止んだり、晴れてみたり…鹿児島の今夏は、気紛れなお天気が続いています。
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