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瓜田に靴を納(い)れず 李下に冠を正さず

 という警句は、誰でも耳にしたことのある言葉ですが、この文章は漢の時代の民謡 “君子行”の一節だそうです。
全文を読むことは滅多にありませんが、紹介すると以下のような歌詞になっているんですね。

「君子は未然に防ぎ
 嫌疑の間に処(お)らず
 瓜田に履を納(い)れず
 李下に冠を正さず
 嫂叔は親授せず
 長幼は肩を並べず
 労謙にして其の柄を得
 和光は甚だ独り難し
 周公は白屋に下り
 哺を吐きて餐に及ばず
 一たび沐して三たび髪を握る
 後世、聖賢と称せらる」

 これが、民謡かい?と違和感もありますね。
 ま、それはともかく、意味を読み取るのは、少々、厄介かもしれませんが…こんな感じです。

「君子たるもの、人から疑われるような事は未然に防ぎ、
嫌疑を受けるようなところには、身を置かないものだ。
瓜の畑では、しゃがみこんで
靴を穿くような仕草をすべきではないし、
李(すもも)の木の下で、冠をなおしたりはしないものだ。
密通を疑われないよう、兄嫁とは親密に接するべきではないし、
年少者は年長者と対等な口をきいてはいけない。
功績があってもへりくだれば権力を得る事ができる。
自分の才能をひけらかさずに、世間と協調するというのは難しいものだ。
周公は、かやぶきの家に住み、
食事中でも入浴中でも、来客があればすぐに出迎えた。
そうした態度であったからこそ、後世、聖賢と称されたのだ」

 ちなみに、周公とは、周を建国した武王の弟。建国直後に武王は病に倒れ、余命いくばくもないと言う状態に陥ります。弟の周公はこの状況を嘆いて、自らを生贄とすることで武王の病を治してほしいと願ったそうです。武王の病は一時回復しましたが、再び悪化して、亡くなります。その後、武王の幼い子である成王が位に就きましたが、周公はこの幼少の王を摂政として支え、7年後にこの子が成人したのを機会に、臣下の地位に戻ったという逸話があります。

 その約500年後の春秋時代に儒学を開いた孔子は、権力に恬淡とし、自らのミッションを遂行しても奢ることのなかった周公を理想の聖人と崇め、常に周公のことを夢に見続けるほどに敬慕していたといわれます。

 少々長くなりました。

 某電力会社のやらせ問題で、国への調査報告書の修正が難航しています。焦点は第三者委員会が指摘した「某県知事の発言が発端」という事実を盛り込むかどうかだそうですが、「発端かどうか」という点よりも、「発端と疑われても仕方がない状況があったかどうか」ということの方が重大なのだと思います。公益をあずかる責任ある立場とは、まさに「李下に冠を正してはならない立場」であること。そのことに気付かない人たちが、無残な姿をさらしている。権力にはそれに見合うだけの責任が付いてくる…あなた方の立場とは、そういうものなんだということを、あの高齢者たちに説得できる人材が、某会社にはいないのでしょうか。

 電力会社の発送電の技術現場で定年まで勤め上げた泉下の父が、もし存命だったら、この事態を見ながら、いったい何と言うのだろう…と、ふと、思うことです。
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