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 「死の淵を見た男…吉田昌郎と福島第一原発の500日」(門田隆将著・PHP)をあっという間に読了しました。吉田昌郎とは、言うまでもありません。あの3・11の大震災&大津波で壊滅的な被害を受けた当時の福島第一原発の所長です。

 福島原発の事故に関しては、政府、国会、民間からさまざまな報告書が公表されていますが、全編、当事者からの聞き書きで構成された同書を読んで、初めて、事故当時の生々しい現場の姿が等身大で迫ってきたように思います。

 全電源喪失、真っ暗闇の現場で、すべてのモニターが機能停止し、まさに「次の瞬間、何が起きるかわからない状況」の中で男たちは、どう動いたのか、同書でも記されていますが、極限の場面では、人間は強さと弱さを両方さらけ出してしまう。日頃目立たない人物が土壇場で驚くような勇気を発揮したり、逆に普段は立派なお題目を唱えてひとり 悦に入っている人が、いざという時に情けないほど無残な姿を露呈したりする。読み通しながら、プロ意識、あるいは、「素のままで強くある資質」は、どのようにして養われるのか…と考え込まされたことでした。

 事故後、吉田所長は食道癌を患い、二度の出術を受けます。吉田所長への取材は、この間、二回4時間半にわたって行われましたが、三回目の取材を前に、今度は脳血管から出血し、再び入院、手術を余儀なくされました。東電は、いち早く、原発事故による放射能被曝との因果関係を否定しましたが、そんなことはどうでもいい。あの事故によるすさまじいストレスと不眠不休の日々が引き金になったであろうことは容易に想像できます。

その吉田所長の言葉…「もう駄目かと何度も思いました。私たちの置かれた状況は、飛行機のコックピットで、計器もすべて見えなくなり、油圧も何もかも失った中で期待を着陸させようとしているようなものでした。現場で命を賭けて頑張った部下たちに、ただ頭が下がります」。その部下たちこそ、後に「フクシマ50」と呼ばれた男たちです。

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 ちなみに、この福島第一原発の立地点は、太平洋戦争末期に建設された陸軍磐城飛行場の跡であることも初めて知りました。多くの若者が、この磐城飛行場で操縦訓練を受け、出撃のため九州南部の特攻基地に向かいます。戦後60余年を経て、再び、この地が同じような過酷な運命を背負うことになるとは…何ともやりきれない巡り合わせを感じずにはいられません。

 久しぶりに読み応えのあるドキュメンタリーでした。
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