上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 この三月から毎週金曜日に官邸前で繰り広げられている反原発デモが、昨夜は国会を包囲しました。昨年の3・11を待つまでもなく、脱原発の流れは当然のことであり、本格的な検証もエネルギー基本政策も、被災地復興も、すべて置き去りにしたままの原発再起動、原子力ムラがまたぞろ息を吹き返しつつあることへのNOの意思表示が、こういう形で現れることも、これまた当たり前のことです。

 とはいうものの、昨夜の国会包囲デモの参加者が、主催者側発表で20万人、一方の警視庁発表で1万2000人というのは、あんまりではないでしょうか。7月13日のデモが主催者15万人、警視庁1万人、20日が主催者9万人、警視庁7000人…このところ、両者の開きは10倍以上で推移しています。どちらが、より正確か、という話をしてみても仕方がありませんが、はっきり言えるのは、昨夜のTV映像を見ていて、どう考えても20万人というのは誇張に過ぎるような気がするのです。

 以前から、こうした参加者数の現実との乖離は、例えばメーデー集会の参加者、あるいは企業のイベントの主催者側発表など、いたるところで見られました。いったん、水膨れ発表をしてしまうと、次回の参加者数を落とせなくなる。運動なり、イベントが広がりを見せていることを強調するために、常に前回を超える数字を公表せざるを得なくなるという自家撞着に陥ってしまうわけです。

 けれども、それは、一人ひとりの参加者を、数字という無機質なもので括り上げて、政治力学的には、それでいいのかもしれませんが、運動そのものの持つ本源的なエネルギーを削いでしまうことにならないか。たった一人の行動が、孤独に見えても、無力に映っても、時に大きく時代を動かすことがあるのだ、ということを、運動を統制し始めた「中枢部」が信じなくなっている兆候を、発表数字の威勢の良さに見てしまうのです。

 たかが数字だけれど、誠実に、正直に、時には控えめ過ぎるくらいであっていい。そうすることで、初めて、あのくだらない既成政党や労働組合、各種運動団体が落ちてしまった過ちを超える新しい民主主義の潮流を生み出すことができるのでしょう。

 つまらない政治主義、安っぽいプロパガンダの呪縛から早く抜け出して欲しいと、痛切に思います。
スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。