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2011.12.28 第二の敗戦
 いよいよ2011年も残すところ3日余りとなりました。今日は仕事納め、現場は大晦日も元日もなく臨戦態勢ですが、多くの社員は年内の仕事に、ひとまずピリオドを打ちます。社外へのあいさつ回りなどもあるのでしょう、今日の本社ビル内は人数も少なく、落ち着いた静寂が漂っています。

 2011年…本当に、忘れられるのなら忘れてしまいたいような一年になりました。何といっても、あの3・11です。2万人近い地震津波犠牲者はもちろんのことですが、大津波に続く福島第一原発災害は、いまなお3万人もの人たちの故郷を奪い、産土の復興はいつになるやら見当もつかない。廃炉には40年を要するといわれ、政府の「収束宣言」を額面通りに受け取る人はほとんどいません。欧州債務危機、超円高、タイの洪水も加えて、日本経済の四重苦の一年だったという人もいますが、所詮、浮沈がつきものの経済の話です。東北、とくに福島の被災者の方々の先の見えない不安と怒りと虚しさとに比べられるはずもありません。

 3・11を「第二の敗戦」と表現する人もいます。昭和20年8月15日に続く第二の国難というほどのイメージでしょうか。実は文芸評論家の故・江藤淳氏が今から13年前の2000年の文藝春秋誌上で「第二の敗戦」という言葉を使っています。江藤氏の論点は、「冷戦終結によって、米国からの規制緩和要求の受け入れ、日米防衛協力指針(ガイドライン)の締結によって、経済的にも軍事的にも米国の『属国』になり下がった」と、ざっと、こんな感じだったと思います。

 江藤氏の悲憤慷慨する往時の「亡国政策」が第二の敗戦と呼べるのかどうかはわかりませんが、少なくとも今年3月11日午後2時46分に発生した大地震とそれによって引き起こされた原発崩壊は、1945年夏の敗戦に匹敵するものだったような気がします。

 この二つの敗戦に共通するのは、国家が主導して導かれた破局という点なのでしょう。太平洋戦争については、言うまでもありませんが、原発立地政策も、また、エネルギー危機を声高に煽りながら国家と産業界、学界、マスコミ言論界が一体となって推し進めた国策プロジェクトだったことです。

 太平洋戦争の敗戦は、日本の国の形を大きく変えましたが、さて、3・11以降のこの国の形は変わるのか、変わらないのか。基本政策の転換もですが、それ以上に、この日本列島に生きる人々、一人ひとりの価値観=幸せの物差しが、10か月前の「あの日の記憶」によって変化するのかどうか。それが、2012年以降のこの国の向かう方向に大きく影響することになるのでしょう。

 「喉元過ぎれば…」にするには、その代償はあまりに大きい。一年を振り返りながら、間もなくやってくる新しい年に希望を繋ぎたいと思います。
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